■解説文
沖縄県の移民は1899(明治32)年に当山久三が送り出したハワイ移民27人が最初でした。他府県に比べ移民の送り出しが多く、特に大正時代から昭和10年にかけて南北アメリカ大陸など21ヶ国に及んでいました。第一次大戦後は好景気となり、諸工業の躍進、輸出ののびはめざましく、全国的に「成金」が誕生しました。しかし、物価は高騰しインフレが進行したため庶民の生活は苦しくなっていきました。沖縄では砂糖の好景気は長続きせず、庶民の生活は「ソテツ地獄」といわれる程困窮していきました。労働者は、1922年以降は年平均7000人が移民や出稼ぎとして県外に流出しました。主な出先地はフィリピン・南洋諸島と京阪神・京浜地区でした。当時の沖縄県の人口は60万人以下でした。 第二次世界大戦までにフィリピン・インドネシア・シンガポール・マレーシアなど東南アジアをはじめ満州・関東州・朝鮮・台湾・樺太・南洋諸島など各地に移住した人たちは敗戦後引き揚げを余儀なくされ、大変な苦労をして沖縄に帰りつきました。 |