■解説文
1926年12月、大正天皇が死去し昭和と改元され皇太子裕仁が天皇となりました。翌年には金融恐慌がおこり、政府は日銀特別融資をみとめさせ救済策をとりましたが、その結果は財閥銀行に資本が集中し、主要産業は系列会社にくみこまれていきました。 中国への積極外交政策がとられ武力進出をおしすすめていた政府は「満蒙」での権益を守るため中国山東省の青島(チンタオ)へ出兵、中国に大きな打撃をあたえました。日本国内では労働者の大量解雇・賃下げ・工場閉鎖などで失業者が増え、青年たちには就職難がおそっていました。28年に第一回普通選挙が実施され、労働組合・農業組合など大衆団体は統一し内閣に不信任を表明しました。政府は共産党・労農党・無産青年同盟の活動家を検挙し残忍な拷問をくわえ、治安維持法違反で約500人を起訴しました。 アメリカで始まった世界恐慌の波は労働者だけでなく農業恐慌へと広がり、生糸の暴落で養蚕農家が没落し、冷害による大凶作で農村は荒廃、娘たちは娼妓・酌婦に売られ社会問題になりました。労働者の賃金は切り下げられ、労働運動・農民運動は生活擁護のため各地で争議がおこり、社会運動も高まりました。日本は経済的危機におちいり、その克服に軍事化の道をすすみ、満州事変をひきおこし国際連盟を脱退しました。軍部・右翼はファッショの道をつきすすみ、38年には国家総動員法を制定し戦時体制が整備され第二次世界大戦へと突入しました。 |