■解説文
明治30年以降、沖縄県民を日本国民として同化させるために風俗・慣習を改め大和風にする運動が明治政府の国策として展開されました。それまでの旧慣温存政策からの性急な改良運動は県民の生活実体とかけはなれ、社会に定着しませんでした。〈琉装から和装へ・標準語励行・ユタやハジチの禁止・行事の簡素化〉など、日常生活における生活改善は農村や都市の庶民に要求されました。土地改良事業が進み徴兵令が実施されるなど沖縄県は日本の中央集権国家体制に組み込まれていきました。 徴兵制(1899年)・沖縄県間切島制(1899年)土地整理(1899年)が実施され、社会の変革は大きく、特に日露戦争以後は皇民化教育がより一層徹底され地方改良運動が推進され運動が活発化していきました。〈風俗改良会〉の運動を組織した地方もありました。1899年首里小学校の女教師久場ツルと一部の女生徒が、琉装から和装へと服装を変えたことは、当時の話題となり、新聞にも掲載されました。 沖縄県を日本の中央集権体勢国家に組み入れようと生活改善などを強制しましたが、明治政府の同化政策はあまりにも性急すぎて県民の生活実体と結びつきませんでした。 |