■解説文
1889年2月、明治政府が制定・公布した憲法で明治憲法・旧憲法ともいわれます。明治新政府は自由民権運動が広がるなかで国会開設を迫られ、憲法の制定も急がれていましこのころ民間でも憲法草案がさかんに提出されましたが、その中でも土佐出身の植木枝盛の私案憲法「日本国国憲案」は人民主権・普通選挙権(婦人参政権を含)などは進歩的で政府に大きな刺激をあたえました。政府は国会開設までに憲法を制定するために、欧米の憲法を学びに伊藤博文たちを派遣しました。伊藤はドイツ・プロイセンの立憲君主制が日本の国体に適合するとしました。帰国後秘密裏に憲法草案は作成され、天皇と内閣に大きな権限をもたせた絶対主義政権は日本の国民の声をとざすかたちで誕生しました。「大日本帝国憲法」の成案は国民の代表がいる議会で審議しないまま、枢密院をへて、天皇が人民に憲法をあたえるという欽定憲法として国民のまえに示されました。1947年5月3日、「日本国憲法」が施行されるまで一度も改正されませんでした。 |