■解説文
日本が鎖国を続けていた時代、世界では新しい時代が始まっていました。ヨーロッパ諸国では、封建的な旧制度を改革し、産業革命による近代資本主義経済の確立にむかっていました。機械制大工場で商品を大量に生産し、その商品を売りさばく市場が必要でした。また、工場で使う原料の確保のため、全世界に進出していきました。 19世紀になると、清国(中国)はイギリスとのアヘン戦争(1840 〜42年)で大敗し、5港を開港・香港をイギリスに割譲しました。アメリカは西海岸のゴールドラッシュにわきたっていたころ、東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の艦船で琉球に上陸(1853年)、江戸幕府に開国をせまる足掛かりとした後浦賀に来航幕府に開国をせまりました。翌年、再び来航したペリーに対し幕府は伊豆下田・北海道(当時蝦夷)函館の2港を水や食料補給の寄港地として開港することを約束し、日米和親条約を結びました。こうした情勢のなか、これまで幕府の政治に参加できなかった薩摩・土佐などの外様大名や、いっさい政治の外におかれていた天皇や公家たちも政治に意見を述べるようになっていきました。 1858年に締結した日米修好通商条約は、日本に領事裁判権がなく(治外法権)、関税の自主権もなく主権をおかす不平等条約でした。欧米諸国の侵略の危機を感じた有力諸大名たちと、改革派の下級武士たちは豪商とむすび、幕府独裁に反対する勢力として、その動きは活発になっていきました。近代的な統一国家をつくるため、武士だけでなく農民や町人も力をあわせ、1868年、明治新政府が誕生しました。 |