■解説文
この施設は、読谷村のほぼ中央に位置しています。この飛行場は、当初、旧日本軍の北飛行場として建設されたものですが、アメリカ軍の占領後は本土侵攻基地として整備拡張されました。滑走路を除くほとんどの地域が黙認耕作地となっています。海兵隊管理の下に陸軍、海兵隊及び空軍によるパラシュート降下訓練が行われていました。 平成7年5月11日、読谷補助飛行場を返還するため、日米合同委員会は「特別作業班」の勧告を承認し、施設条件を含む3項目の条件付で返還が合意されました。但し、今回の勧告は、読谷補助飛行場の全部返還に関連する諸問題を解決するものであり、実施にあたっては、今後さらに合同委員会における手続きが必要とされています。 平成8年12月2日、日米安全保障協議会(SCC)はSACOの最終報告を承認しました。各案件を実現するための具体的な条件を取り扱う実施段階における両国間の主たる調整の場として、日米合同委員会を指定しました。 |