■解説文
戦前、国家総動員法に基づいて旧日本軍が農民たちから強制的に取り上げた北飛行場の土地は、戦後アメリカ軍によって占拠され、朝鮮戦争のころまで飛行場として使用されました。その後はパラシュート降下演習場となり、復帰後も使用されて現在に至っています。この間、アメリカ軍パラシュート演習による事件・事故は絶え間なくおこり読谷村民は空からの落下物に恐怖の日々を過ごしてきたのです。1950年、飛行機の補助燃料タンクが落下して、当時3歳だった幼児の片足が切断され全身打撲などで死亡しました。その後もアメリカ軍の貨物が落下する事故がつづき、地域住民は不安と恐怖の日常でしたが、64年には約4トンのコンクリートのかたまりやジープ、武器などが座喜味・親志・喜名集落の数十ヶ所に落下し大きな損害を与えました。その翌年、村民の不安は現実のものとなってしまいました。自宅の庭先で遊んでいた棚原隆子ちゃん(当時小5)が空から落下してきたトレーラーに押しつぶされ殺されたのです。村民の基地撤去の訴えは命がけでしたが、それでもパラシュートやアメリカ兵が落下する事故などがくりかえされ、家屋の損傷、農地の被害はつづき、学校も通学路も安全な場所ではありませんでした。 |