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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

テーマ1:返還された軍用地

テーマ2:基地被害 −終わらない戦後−

テーマ3:村民主権 −基地撤去の闘い−

テーマ4:文化による外交

テーマ5:平和の炎が立ち上がる −軍用地の跡地利用−

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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深く

 

9.嘉手納弾薬庫地区

■解説文

 弾薬庫は読谷村・恩納村・石川市・沖縄市・嘉手納町の6市町村にまたがる広大な面積を占めています。戦前は山林・原野および田畑が主でしたが、一部に集落があり当時読谷村の親志・牧原・長田・喜名・比謝・大湾および嘉手納町久得の開拓地となっていました。アメリカ軍の沖縄占領と同時に使用開始され、当初は嘉手納飛行場に隣接する地域に嘉手納弾薬庫、比謝川サイト、波平弾薬庫が構築され、その後読谷合同弾薬処理場、陸軍サービス弾薬庫、知花弾薬庫、嘉手納タカン弾薬庫、嘉手納ボルタック弾薬庫および東恩納弾薬庫がつぎつぎと構築され、施設の拡張、機能強化が図られました。沖縄返還に際し締結された返還協定基地リストA表でこれらの9施設は、嘉手納弾薬庫地区として統合され現在に至っています。この施設は、極東最大のアメリカ空軍基地といわれる嘉手納飛行場と隣接し、空軍・陸軍および海兵隊の3軍が毒ガス等特殊兵器の貯蔵庫および極東地域への弾薬類の総合補給基地として使用し、在沖アメリカ軍基地の中でも極めて重要な役割を担っています。復帰前まで全く返還されず、復帰後もわずか1%にも満たない部分(山間地など)がこまぎれ返還されただけです。読谷村は国道改修工事に伴う部分と不発弾処理場が返還されましたが村民の粘り強い闘いがあったからです。

■写真解説

施設の位置と面積

不発弾集積場のゲート

野積みにされた不発弾

 

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更新日:2008年3月18日