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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

テーマ1:返還された軍用地

テーマ2:基地被害 −終わらない戦後−

テーマ3:村民主権 −基地撤去の闘い−

テーマ4:文化による外交

テーマ5:平和の炎が立ち上がる −軍用地の跡地利用−

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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深く

 

1.村民の思いは平和な村づくりへ

村民の思いは平和な村づくりへ 1945年4月1日、沖縄戦でアメリカ軍の上陸地となった読谷村は村土の95%が軍用地として強制的に接収されました。飛行場や射撃場、通信基地などが建設され村民たちの住める土地は僅かでした。その上、基地からの被害は村民を苦しめつづけ地獄の戦場から生き延びた人たちにとって、平和な村づくりへの思いは深くなっていきました。1972年の復帰時には、アメリカ軍基地の割合は73%でしたが、現在(2002年)では45%になっています。村民の平和への思いは行動にあらわれ事件・事故が起きるたびに抗議を繰り返し、基地撤去を叫びつづけました。読谷村はお互いの立場を理解し合い、話し合いで解決をはかっていく姿勢をつらぬき、粘り強く、ユニークな発想で交渉をしてきたのです。ここではボーローポイント射撃場など8か所の返還基地をとりあげました。

 

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更新日:2008年3月18日