■解説文
1945年8月15日戦争が終わり、各地の収容所にいた人々がそれぞれの郷里に帰りはじめました。 しかし、村のほとんどをアメリカ軍施設が占めていた読谷村では自由に帰村することができませんでした。1946年の8月になってようやく先遣隊として「読谷山建設隊」が故郷の村に入り、復興を始めました。その後、居住許可地域が広げられ、5次にわたる移動で、1947年の11月には1万4千人の村人が故郷の村へ帰ることができました。しかし、ほとんどの土地がアメリカ軍の施設として使用されていたため、旧集落(字)へ帰れなかったり、他の地域への集団移転を強要される人たちもいました。また、楚辺や渡具知のように、一旦元の集落に戻った後、再びアメリカ軍に土地を接収される所もありました。現在でも字喜名、楚辺、牧原、親志などは旧集落が基地として使用されているため旧集落に復帰できずにいます。 |