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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

テーマ1:復興にむけた新たな歩み

テーマ2:村民の戦後生活

テーマ3:行政文書から見た村づくり

テーマ4:米軍にほんろうされた農民 −土地の再接収−

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

 

4.ムラの移動 −村民の帰村−

■解説文

 1945年8月15日戦争が終わり、各地の収容所にいた人々がそれぞれの郷里に帰りはじめました。 しかし、村のほとんどをアメリカ軍施設が占めていた読谷村では自由に帰村することができませんでした。1946年の8月になってようやく先遣隊として「読谷山建設隊」が故郷の村に入り、復興を始めました。その後、居住許可地域が広げられ、5次にわたる移動で、1947年の11月には1万4千人の村人が故郷の村へ帰ることができました。しかし、ほとんどの土地がアメリカ軍の施設として使用されていたため、旧集落(字)へ帰れなかったり、他の地域への集団移転を強要される人たちもいました。また、楚辺や渡具知のように、一旦元の集落に戻った後、再びアメリカ軍に土地を接収される所もありました。現在でも字喜名、楚辺、牧原、親志などは旧集落が基地として使用されているため旧集落に復帰できずにいます。

■写真解説

住村民の帰村状況 1946〜1952年 1946年8月6日

村民の帰村 1952〜現在

移動した集落

 

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更新日:2008年3月18日