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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

テーマ1:復興にむけた新たな歩み

テーマ2:村民の戦後生活

テーマ3:行政文書から見た村づくり

テーマ4:米軍にほんろうされた農民 −土地の再接収−

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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深く

 

6.現在の読谷村の基地

■解説文

 主だった軍用地の変遷状況を見てみると、アメリカ軍及び日本政府が随時軍用地の返還政策をとってきたかのように見えますが、この中には村民が決起し、長年の闘争を経て返還を勝ち取ってきた土地もあります。しかし、戦場となり、基地化されていった土地には戦前の面影は見られず、地籍も明確で無く、その跡地利用事業は苦難を極めました。こうした返還軍用地こそ、戦後の読谷の村づくりの骨格部分を形成してきた地域なのです。しかし、ここで強調されなければならないのは、未だに村土の約半分が軍事基地であるという厳しい事実です。2001年9月11日アメリカで同時多発テロがおこり、世界の人々に衝撃を与えました。沖縄でもテロ発生後警官隊によるゲートの警備が厳重になり、多くのアメリカ軍基地を抱える県民に基地が存在する危険性を再認識させる事になりました。テロ発生後は修学旅行や一般客のキャンセルが増え観光客が減り、沖縄の経済に大きな影響を及ぼすことになりました。経済的な損失だけでなく、沖縄の基地の存在について問い直されることになったのです。

■写真解説

現在のアメリカ軍基地

テロを伝えた新聞記事 琉球新報社

テロの影響で売り上げの落ちたホテル

 

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更新日:2008年3月18日