■解説文
島ぐるみ闘争に対し、米軍側は基地に依存している中部地域にオフリミッツを発動し、経済封鎖を行いました。さらに通貨を軍票B円からドルへ切替えて外資導入をはかり、経済界を揺さぶる政策を打ち出しました。その一方で、校舎復興や児童生徒への教育備品の贈呈、琉米文化会館の建設、水道施設や道路改修工事などを行い、県民の分断をはかったのです。 県民は、経済面で妥協もやむをえないとする集団と、あくまでも米軍支配からの脱却をめざす集団とに二分していきました。その結果、沖縄側は政治面で、米軍側は経済面で譲歩し、1958年頃には闘争は終息へと向かっていきました。 |