■解説文
沖縄本島が空襲されるようになると、人々は警報が鳴る度に屋敷内の手掘りの「家族壕」に避難しました。本格的な「十・十空襲」以降は、大きく頑丈な亀甲墓や自然壕(ガマ)へ避難するようになりました。 いよいよ米軍が上陸してくる直前になって、多くの村民が国頭(くにがみ)へ避難しましたが、そのまま村に留まった人々は、ガマの中で米軍の上陸を目の当たりにしたのです。 沖縄戦において、ガマは命を守るものであったと同時に、大きな悲劇をも生みました。村内にあるいくつかの壕から、沖縄戦と住民のかかわりが見えてきます。 |