サイトマップ

 文字を大きくするには

トップページ 常設展示室 読谷人物伝 ライブラリー 旅行ガイド クイズラリー アンケート
文字サイズ文字色変更が行えます。

常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

 

1.住民の集団死

死、そして生へ 沖縄本島が米軍に空襲されるようになると、住民たちは沖縄古来の亀甲墓や自然壕(ガマ)に避難していました。米軍が上陸する間際になって、ようやく多くの人々が国頭(くにがみ)に避難しましたが、村にとどまった村民も多くいました。字波平にあったチビチリガマでは約140人の避難民のうち83名が「集団死」で亡くなりました。同じ波平のシムクガマでは約1000人が避難していましたが、全員投降し、無事米軍に保護されました。地上戦では、戦闘による犠牲とは別に、皇民化教育や投降を許さない日本軍の考えにより、死ぬことしか選択の余地がないところに追い込まれた住民が家族を殺し、自らも自殺するという悲惨な事態が発生したのでした。

 

  次へ

 

更新日:2008年3月18日