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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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8.従軍慰安婦

■解説文

 日清、日露、第一次世界大戦を経て、侵略戦争をくりかえしてきた帝国日本は、占領地の人々に対し、べっ視と優越感をもっていました。軍隊の規律は厳しく、兵士たちは抑圧され、管理される生活の中で戦意もうすれ、不満も大きくなっていきました。
 戦地では、強奪や強姦事件が多発し、反日運動も高まっていきました。
 日中・太平洋と戦争が長引くなか、兵士たちの不満をそらし、戦意を高めるための方策として、日本軍の管理する「慰安所」が設けられました。
 「慰安所」で働く女性たちは「慰安婦」と呼ばれ、若く健康で、病気をもたない女性たちが集められました。その女性たちの多くは、植民地となっていた朝鮮・台湾などから、だまされるなどして、強制的に連れてこられたといわれています。
 人間としての尊厳をふみにじられ、男性兵士たちの性の相手をさせられた女性たちの声は、戦後長い間閉ざされていました。
 沖縄戦でも、軍隊の配置されたところには「慰安所」がつくられました。辻(遊郭のようなところ)の女性たちも「慰安婦」となりましたが、朝鮮などから連れてこられた女性たちの姿も多く見られたようです。
 戦後50年過ぎた今、ようやく日本政府への謝罪と補償を求める声が聞かれるようになりましたが、その答えは未だ出ていません。

■写真解説

院長と兵隊、看護婦の皆さん(大山医院前で)

慰安所に使用された民家(玉城村)

沖縄県内で慰安所があった主な場所

 

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更新日:2008年3月18日