■解説文
日清、日露、第一次世界大戦を経て、侵略戦争をくりかえしてきた帝国日本は、占領地の人々に対し、べっ視と優越感をもっていました。軍隊の規律は厳しく、兵士たちは抑圧され、管理される生活の中で戦意もうすれ、不満も大きくなっていきました。 戦地では、強奪や強姦事件が多発し、反日運動も高まっていきました。 日中・太平洋と戦争が長引くなか、兵士たちの不満をそらし、戦意を高めるための方策として、日本軍の管理する「慰安所」が設けられました。 「慰安所」で働く女性たちは「慰安婦」と呼ばれ、若く健康で、病気をもたない女性たちが集められました。その女性たちの多くは、植民地となっていた朝鮮・台湾などから、だまされるなどして、強制的に連れてこられたといわれています。 人間としての尊厳をふみにじられ、男性兵士たちの性の相手をさせられた女性たちの声は、戦後長い間閉ざされていました。 沖縄戦でも、軍隊の配置されたところには「慰安所」がつくられました。辻(遊郭のようなところ)の女性たちも「慰安婦」となりましたが、朝鮮などから連れてこられた女性たちの姿も多く見られたようです。 戦後50年過ぎた今、ようやく日本政府への謝罪と補償を求める声が聞かれるようになりましたが、その答えは未だ出ていません。 |