■解説文
農業主体であった戦前は、子供たちを学校に通わせない家が多く、先生が子供を迎えにきて、行列をつくって学校へいく光景が見られました。子供たちには遊ぶ暇はほとんどなく、畑仕事、水汲み、家畜の世話(草刈)、子守りなどの家事を手伝いながら、自然(海や川)の中で工夫して遊びを見つけていました。 衣服も着物が多く、はだしでの生活でした。下駄を履くのは正月くらいのもので、那覇へ出かけるときにも腰に下げ、玄関に入る直前に少しの間だけ履いたというほど、貴重なものでした。決して豊かな時代ではありませんでしたが、人と人のつながりの見えるあたたかい暮らしがあったと言えるのかもしれません。 |