Kajimai - Yomitanson Gallery

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読谷山花織事業協同組合

途切れかけた技を紡いで

読谷山花織は、琉球王国時代、王府の保護のもと御用布に指定され、着用は士族と読谷の人々しか許されなかったという。しかし、明治36年貢納布制度が廃止されたことと、本土から安い織物が導入されたことによって、高度な技術が必要な花織は、しだいに織られなくなってしまった。読谷山花織が復興を遂げたのは戦後になってから。各家庭に花織の布が残っているのに目をつけた当時の村長は、なんとかこの織物を読谷村の特産品にしたいと考えた。後に人間国宝となる与那嶺貞(故人)を中心に地元の有志たちは、戦前に花織を織ったことのある高齢者の記憶を頼りに、残っている花織をほどいて研究をつづけた結果、昭和39年、読谷山花織は、みごと復活を遂げた。風車(かじまやー)模様の長寿の願いは、読谷山花織そのものにも込められていたのかもしれない。

読谷山花織事業協同組合
読谷村字座喜味2974-2番地
TEL.098-958-4674