その昔、楚辺(そべ)ムラは飲料水が少なく、水不足で大変困っていました。ある日、屋嘉(やか)のチラーが可愛がっている赤犬が、水に濡れて洞窟から出てきました。それで、洞窟に水があることが分かったそうです。
また、美人で有名なチラーに、ある男が思いを寄せていましたが、相手にしてもらえませんでした。それで男はチラーに恥をかかせようと、「チラーは犬の子を身ごもっている」とあちこちで言いふらしました。その時、チラーは別の男と恋仲になって、実際身ごもっていたのです。お腹が大きくなるにつれて悪い噂がたち、いたたまれなくなったチラーは、津堅 (つけん) 島へ渡って子どもを産みました。
その子が赤犬子と言われている人で、のちに中国に渡り、五穀を持ち帰って広めたとも言われています。また、三味線を作りだし、沖縄に広めたのも赤犬子です。
ある時、赤犬子は旅の途中、瀬良垣(せらがき)で山原船(やんばるせん)を造っているところに出会いました。喉が渇いていたので、船大工に「水を飲ませてくれ」と言うと、「お前みたいな乞食にあげる水はない」と断られました。すると赤犬子は「瀬良垣水船(せらがきみじぶに)」と言い残して立ち去りました。
しばらくして谷茶(たんちゃ)に着くと、そこでも山原船を造っていたので、赤犬子が「水を飲ませてくれ」と頼むと、谷茶(たんちゃ)の船大工はすぐに水を飲ませてくれました。そこで赤犬子は「谷茶速船(たんちゃはやふに)」と言って立ち去りました。
すると瀬良垣(せらがき)の船は水難に遭い、谷茶の船はとても速い船になりました。怒った瀬良垣(せらがき)の船大工は赤犬子を殺そうと、楚辺(そべ)まで追いかけてきました。
それで赤犬子は現在の赤犬子宮(あかいんこぐう)の上に杖を突きたてて昇天したという話が残っています。