2014年1月1日 日本一人口の多い村「読谷村」誕生
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跡地利用推進課

基地被害と闘い2

滑走路損壊査定修復訓練反対の闘い(昭和63年4月~11月)

  昭和63年4月、読谷補助飛行場で新たに米軍演習、滑走路損壊査定修復訓練が、村民の反対を押し切って強行された。週1回、数ヶ月にわたって計画されたこの演習に「読谷村を戦場とするな」と村民が反対行動に立ち上がった。早朝から演習阻止のために集まった村民に対し米軍の演習は、機動隊を導入してまで強行された。
  同年8月3日には村・村議会を含めた村内22団体で構成する実行委員会が「演習場の早期移設と旧読谷飛行場用地の戦後処理を求め、一切の軍事演習に反対する」村民総決起大会を開催、3千人余の村民が集結した。
  実行委員会の米軍や政府への強い要請行動と村民の粘り強い闘いにより、同年10月以降、同演習は行なわれていない。
※昭和63年は、4月から9月にかけて同演習と平行してパラシュート降下演習も激増した。又、県内の全ての基地での様々な演習も激増していた。

パラシュート降下演習に反対する闘い(昭和35年~現在)

  旧日本軍によって接収され、戦後も米軍基地と使用されてきた読谷補助飛行場でのパラシュート降下演習は、昭和35年以降実施されており昭和40年6月11日パラシュート演習で投下されたトレーラーに喜名小4年生の少女が圧殺されたのをはじめ、民間地域への降下ミスなどが相つぎ、まさに村民の生命・財産をおびやかす危険な演習である。
  度重なる演習被害にこれまで幾度となく繰り返された講義決議、中止要請も効なく、ついに現地阻止行動が昭和54年11月1日の演習から行なわれていった。同年の13日には、村民千人余が集結して演習阻止行動の後、事故への抗議と演習場の撤去を求める村民総決起大会が開催された。村民の阻止行動は早朝、夜間を問わず激しく展開され、ついに米軍の危険な夜間訓練を中止させることができた。しかし、パラシュート降下演習そのものは引き続き強行されこの間、演習場外への降下ミスも相ついだ。
  このため米軍、防衛施設局ともに読谷飛行場はパラシュート降下演習場としては不適当という認識に立ち昭和55年日米合同委員会で演習場の移設が決定され那覇防衛施設局で移設のための調査作業が進められてきた。
  しかし、移設作業がなかなか進まないなかパラシュート降下演習は強行され、昭和63年には過去10年分の訓練回数、降下人員を上回る激しい訓練が強行された。これに対する村民の抗議行動も再び激しさを増し、週1回の訓練に早朝から村民の抗議行動が展開された。
  村民のねばり強い反対運動の結果、日米両政府で変換に係る作業が進められ、平成6年6月16日、日米合同委員会は読谷補助飛行場の返還問題に資する検討を行うため、施設特別委員会の下に「読谷補助飛行場特別作業班」の設置に合意。
  平成7年5月11日、日米合同委員会は下部機関である読谷補助飛行場特別作業班の勧告を承認した。勧告の概要(読谷補助飛行場を返還するため次の措置を講じる。1.落下傘降下訓練機能をキャンプハンセン宜野座ダム隣接地(宜野座村惣慶)に移設、訓練中宜野座ダムに救助艇を待機。2.滑走路修復訓練機能を嘉手納爆薬庫地区内に移設。3.楚辺通信所のアンテナ及び楚辺通信所の保守区域を既存の施設・区域内に移設することとし、その施設先について引き続き検討する。)
  平成7年6月29日、日米合同委員会は読谷村の庁舎等用地31,000㎡の共同使用について合意した。同年9月工事着工、平成9年3月完成。パラシュート降下訓練は、平成8年7月9日以降行われなかった。昭和54年の調査以降、訓練実施回数186回、降下人員6,877人であった。
  平成8年12月2日、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)の最終報告でも「パラシュート降下演習が伊江島補助飛行場に移転され、また、楚辺通信所が移設された後に、平成12年度末を用途に、読谷補助飛行場(約191ha)を返還する」ことが報告された。
  平成11年10月21日、日米合同委員会はパラシュート降下訓練を読谷補助飛行場から伊江島補助飛行場に移転することを合意した。一方、SACO返還条件の残りの楚辺通信所についても平成12年9月6日、キャンプハンセンへの移設工事及び物件撤去工事が完了する見通しが得られたとして平成17年5月末を期限とした駐留軍特措方に基づく裁決申請書を提出したことから同時期の返還見通しになった。
  このように昭和54年以降の読谷補助飛行場での降下演習等に対する抗議行動は、読谷飛行場の所有権回復を含めた戦後処理問題の解決、新しい村民活動の拠点づくりとしての位置付けから、単に演習抗議行動に止まらず、読谷飛行場を村民の手に取りもどし、転用計画に基づきそこに新しい村づくりをしていく闘いでもある。抗議行動は、これまでの村民の闘いの中で最も長い厳しい闘いであるにもかかわらず、村民の知恵と団結が見事に発揮された闘いであった。平成9年の役場庁舎の完成に引き続き、平成11年7月には文化センターが完成し正に村づくりの拠点、村民活動の拠点として大きく華開こうとしている。

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