2014年1月1日 日本一人口の多い村「読谷村」誕生
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読谷飛行場返還の碑:3

読谷山野を取り戻す

粘り強い請願活動と国会審議、そして多くの方々の協力をいただき、接収から63年という歳月を経て土地が地元に戻り、戦後処理事案として所有権問題解決に向け大きく前進。

24筆とされた旧軍用地(1981)

読谷飛行場転用基本計画(1987.7)

読谷補助飛行場後地利用実施計画(2005.3)

1943.春 沖縄北飛行場土地接収の通告「戦争が終わったら土地は地主に返す」と説明、夏、建設開始
1947.10 読谷村土地調査、沖縄北飛行場地内の所有権申請は拒否される
1951.4 土地所有権証明書発行、沖縄北飛行場机上24筆に作図、国有地となる
1967.11 読谷村長 池原昌徳、総理府に「沖縄北飛行場」買収事情について照会
1968. 3 大蔵省国有財産局、那覇日本政府南方連絡事務所を介し同上回答
1972.5 沖縄本土復帰、国有財産に登載、米軍提供施設読谷補助飛行場となる
1972.8 座喜味有志「読谷飛行場は国有地か」を発表
1973.3 読谷村長 古堅宗光、読谷補助飛行場地域について跡地利用策定を表明
1974.6 読谷飛行場用地所有権獲得期成会(座喜味区)発足
1976. 2 読谷飛行場用地所有権回復地主会(旧地主関係者)発足
1977.3 国会審議、内閣総理大臣 福田赳夫「これは調査をいたします」旨答弁
1978.3 大蔵省、「私法上の売買契約により国有地になった」旨報告
1978.5 読谷村長、議長、地主会長、大蔵省報告に主張と要請
1978.5 国会審議、大蔵省報告における境界杭の物証誤認
1978.7 国会審議、土地所有権移転登記申請書(1944.9.20)による売買不詳
1978.10 読谷飛行場用地所有権回復地主会、公図、公簿もれ土地申請書提出
1979.6 国会審議、沖縄開発庁長官「開発計画により解決できないか」旨答弁
1985.11 読谷飛行場転用計画審議会答申(土地利用フレームで農業団地、 公共公益用地を設定
1987.7 読谷村、「読谷飛行場転用基本計画」策定
1992.3 沖縄県、「読谷飛行場地域整備基本計画」策定
1993.3 沖縄県、読谷補助飛行場の返還を「重要三事案」に位置づけ
1996.10 読谷村長 山内徳信 国へ要請、「読谷飛行場跡地利用促進協議会」設置
1996.12 SACO(日米特別行動委員会 2000年度末の移設後返還を合意
2001~
2002
沖縄全市町村議会及び沖縄県議会が旧軍飛行場用地の 早急な戦後処理を求める意見書決議
2002.3 衆参両院で旧軍飛行場用地問題解決促進に関する付帯決議
2002.7 沖縄振興計画「読谷補助飛行場跡地は個性豊かな田園空間の形成」記載
2004.3 沖縄県、「旧軍飛行場用地問題調査・検討報告書」(読谷方式例示)
2005.3 読谷村、「読谷補助飛行場跡地利用実施計画」策定 (地主会が組織する農業生産法人に貸し付け、将来売り渡しする)
2005. 5 読谷村長 安田慶造、「読谷補助飛行場跡地利用実施計画」発表
2006. 7 読谷補助飛行場一部返還、国有地等価交換(読谷村・沖縄総合事務局)
2006.12 読谷補助飛行場残部分の返還
2007.1 残部分の国有地等価交換(読谷村・沖縄総合事務局

軍事演習抗議・返還へ

度重なる基地被害に村民の激しい抗議行動が沸起こり、米軍のアンテナ基地建設は中止され、演習場の移設が検討されるまでにいたりました。

アンテナ設置反対決起大会(1976)パラシュート降下訓練反対抗議大会(1972)

米海兵訓練体調に演習中止要請(1979)夜間降下訓練抗議大会(1980)

米軍話し合いに応じる(1983)降下後、撤退するグリーンベレー(1988)

1976. 7 村民の通報でアンテナ建設工事を知る、中止を要請
1976. 8 読谷村議会「米軍のアンテナ設置に反対する決議」
1976.10 所有権回復地主会座り込み闘争突入(村内16団体支援共闘会議結成)米軍アンテナ設置反対村民大会
1976.11 米軍工事中止、座り込み解除(38日間延べ2,507人参加)
1976.12 米軍は工事社に工事再開を通告
1977. 1 工事再開阻止村民大会
1977. 2 読谷村長 山内徳信、ジミー・カーター米国大統領に建設中止の直訴状
1979.11 パラシュート落下事故、村議会撤去要求決議、撤去要求村民総決起大会
1979.12 撤去要請行動継続、演習再開に村民50人余が監視体制
1980. 1 米軍演習強行、村民激しい抗議行動、那覇防衛施設局移設提案を上申
1980. 3 日米合同委員会、施設特別委員会開催
1980. 4 第1回読谷飛行場内米軍落下傘降下演習場撤去要求促進村民総決起大会
1980. 8 第2回読谷飛行場内米軍落下傘降下演習場撤去要求促進村民総決起大会
1980.10 日米合同委員会、「落下傘降下訓練場代替施設検討特別作業班」設置
1981. 1 米軍夜間演習強行、村民激しい抗議行動
1981. 4 米軍夜間演習強行、村民激しい抗議行動、読谷村議会撤去要求決議
1981. 5 米軍、演習強行、村民激しい抗議行動
1981. 6 米軍ヘリボーン夜間演習強行、村民激しい抗議行動
1981. 8 米軍ヘリボーン夜間演習強行、米兵2人地区外降下、村民激しい抗議行動
1982.- 3月、4月、8月に米軍演習強行、村民は抗議行動、撤去要請活動継続
1983. 8 米軍演習強行、読谷村議会撤去要求決議、那覇防衛施設局移設検討公表
1988. 4 米軍滑走路損壊査定修復訓練強行
1988. 8 「軍事演習に反対する村民総決起大会」、村民3,000人余が結集
1988.10 以降、滑走路損壊査定修復訓練中止
1995. 5 日米合同委員会、滑走路損壊査定修復訓練移設に合意

読谷村の中心地づくり

運動広場を皮切りに役場庁舎・文化センターと必要とされる施設は基地の中であっても整備してきました。返還後も地域振興とともに読谷村の中心地づくりを進めます。

運動広場(1978.8)平和の森球場(1987.3)

読谷村球場(1997.2)文化センター

陸上競技場(2011.8)村民センター地区(2014.7)

1978. 8 アンテナ基地建設中止後運動広場を整備(軍用地共同使用)
1980. 7 読谷村総合福祉センターを旧国民学校跡地に整備
1981. 8 勤労者体育センターを運動広場一画に整備(軍用地共同使用)
1987. 3 沖縄海邦国体に向け平和の森球場・多目的広場を整備(軍用地共同使用)
1997. 2 読谷村役場庁舎を多目的広場南に隣接して整備(軍用地共同使用)
1999. 6 読谷飛行場内黙認耕作問題解決要綱(読谷飛行場跡地利用促進連絡協議会)
1999. 8 読谷村文化センターを役場庁舎東側に整備(軍用地共同使用)
2001. 3 先進農業支援センター整備事業(集選花場、平張施設等)
2003. 8 黙認耕作中止と確約書の文書送付(那覇防衛施設局、読谷村)
2004. 7 さとうきび夏植え禁止看板設置(那覇防衛施設局)
2007. 3 読谷村、農作物等収去土地明渡事件
2007. 5 「先進農業支援センター」竣工祝賀会
2007~ 県営畑地帯総合整備事業(土地改良)
2008. 3 読谷村健康増進センターを読谷村文化センター東側に整備
2010. 2 那覇地方裁判所沖縄支部「土地明渡し」判決
2010. 7 読谷中学校を読谷村役場庁舎西側に整備
2011. 2 福岡高裁那覇支部和解勧試、読谷村議会和解案議決、和解成立
2011. 4 JA沖縄読谷支店ファーマーズ整備
2011. 8 陸上競技場を平和の森球場の北側に整備
2011.10 県営かんがい排水事業
2013.5 読谷村地域振興センター(仮称)基本計画
2014.12 読谷村地域振興センター(仮称)工事着手

飛 鳳

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