2014年1月1日 日本一人口の多い村「読谷村」誕生
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読谷飛行場返還の碑:2

返還の碑

読谷飛行場 1943(昭和18)年接収
2006(平成18)年返還

返還の碑

おもろさうし解説

おもろさうし

旧日本軍沖縄北飛行場建設・米軍占領

旧日本軍沖縄北飛行場建設・米軍占領

旧日本陸軍航空本部沖縄北飛行場として建設

1945.4.1米軍上陸・占領拡張整備使用

返還の道のり

読谷補助飛行場は、太平洋戦争時旧日本軍により接収され、施政権分離下での米軍使用、本土復帰後の提供施設という変転を経て返還されました。

旧日本軍沖縄北飛行場建設・米軍占領

読谷補助飛行場(2002年撮影)

1943.夏 旧日本陸軍航空本部による「沖縄北飛行場建設」始まる
1945. 3 ニミッツ布告(米国海軍軍政府布告第1号)
1945. 4 米軍上陸占領、比謝に軍政府開設、飛行場拡張使用
1946. 1 米軍統治下で米軍継続使用
1952. 4 講和条約発効、施政権分離、米国民政府下で米軍継続使用
1972. 5 本土復帰、提供施設「読谷補助飛行場」として継続使用
1976. 7 第16回日米安全保障協議委員会、滑走路東側の返還合意
1978. 4 滑走路東側約101ha返還
1993.11 沖縄県、読谷補助飛行場を「重要三事案」に位置づけ
1994. 6 日米合同委員会、「読谷補助飛行場特別作業班」設置合意
1995.10 米兵事件に対する沖縄10.21県民総決起大会(基地の整理縮小を促進)
1996.12 SACO(日米特別行動委員会)2000年度末の移設後返還合意
1999.10 日米合同委員会、パラシュート降下訓練伊江島移転合意
2006. 7 読谷補助飛行場191haの一部138ha返還
2006.12 読谷補助飛行場残部分53ha返還、楚辺通信所返還

度重なる基地被害

米軍は眼下に住宅がないかのごとく使用し、落下物により少女2人が死亡するという凄惨な事故を引き起こし、多くの基地被害を出し続けました。

トレーラー落下、女子死亡(1965.6)

角材が座喜味に落下、住宅屋根を貫通(1966.11)

T33ジェット機墜落炎上(1971.10)

パラシュート降下訓練

1950. 8 燃料タンクが喜名に落下、女児(3歳)死亡
1963. 1 米軍貨物が喜名に落下、住宅損壊
1963. 4 米軍貨物が座喜味の住宅直近5mに落下
1964. 3 ジープ等が座喜味、親志、喜名の数十ヶ所に落下
1965. 6 トレーラーが座喜味に落下、女子(小4年生)死亡
1966.11 角材が座喜味に落下、住宅屋根を貫通
1967. 6 米軍人が喜名に降下、屋根瓦を突き破る
1970. 5 陸軍特殊部隊2人が喜名に降下、住宅等損壊
1970. 7 重り付き落下傘が座喜味の住宅に落下
1971.10 米軍T33ジェット戦闘機が楚辺に墜落炎上
1976.11 ドラム缶梱包の落下傘が畑に落下
1977.12 スカイダイビングクラブが降下、農作物損壊
1978. 1 米兵が住宅屋敷内に降下、菜園損壊
1978. 4 スカイダイビングクラブが喜名小学校校庭に降下
1978.12 米軍女性兵士が高志保の住宅屋根に降下
1979. 4 スカイダイビングクラブが農夫の直近に降下
1979. 5 米兵が離脱した無人落下傘が読谷高校校庭に落下
1979.11 重り・点滅灯付き落下傘が住宅団地直近に落下
1981. 4 米海兵隊が朝礼中の古堅小学校直近に降下
1981. 8 米海兵隊2人が目標を外し、農夫の目前に降下
1981.11 米空軍兵が目標を外し、幼稚園児頭上を通過降下
1986. 4 米兵3人が目標を外し、滑走路東側に降下
1986. 6 米兵11人が読谷村運動広場周辺に降下
1987. 4 米兵7人が目標を外し、伊良皆の住宅地近くに降下
1988. 7 米兵2人が目標を外し、滑走路東側に降下
1988. 8 米兵が補助落下傘で伊良皆運動場近くに降下
1988.10 米兵のへルメットが伝統工芸センター南側畑に落下
1989. 4 米兵2人が平和の森球場東側に降下
1991. 3 米兵7人が伝統工芸センター周辺に降下
1992.12 米兵1人が楚辺の住宅庭先に降下
1993.11 米兵1人が目標地点を越え、通勤通学路に降下
2009.11 ウォーキング中の男性(66歳)が米兵にひかれ死亡